桜博士とシダ胞子

「旅するシダ胞子」は、日本各地に出張してシダにまみれて歩くイベントです!◎

記念すべき第一回目を、岐阜県恵那市の岩村町で開催しました。岩村町は、日本三大山城の一つである岩村城のある城下町です。ちなみに、三大山城うちのもう一つは、私が住んでいる吉野の高取城!偶然にも共通点があって嬉しい。

関東を中心に大きな水害をもたらした台風19号が通り過ぎた翌日(10月13日)で、開催できるかどうかとても不安でしたが、往復の道は特に問題なく、無事に終えることができました。

岩村城下町
台風一過で、「半分、青い」写真。
岩村城下町は、朝の連続ドラマ「半分、青い」のロケ地になるほど、モダンで趣のある街並みでした。

あえて、事前の下見などは一切ナシ。

歩いて、発見して、深堀するところに、スリルとトキメキ、ワクワクがあると私は考えるようになったのです。これまでのイベントを通して、私自身がワクワク楽しんでいないと、参加者のみなさんも楽しめない・・・!?という気持ちになったことがいくつかあり。

かんから餅
ふわふわもちのかんから餅
事前にゲットしていた情報といえば、五平餅と「かんから餅」が美味しい!ということくらい(笑)岩村町富田産の餅米を100%使用したお餅を3種類の餡子で包まれたおやつです。(ふわっとしたお餅でおいしかった〜。床の間の掛軸が棟方志功の版画!棟方志功の作品が好きなんです)

さて、今回お借りした会場は、この夏にオープンした、レンタルスペース&シェアカフェのHyakkei(百怪)さんです。カウンターの青いタイルが素敵なカフェで、中央には暖炉。ふわっと風とおしもよく、居心地よい空気感〜。

→Facebook: https://www.facebook.com/pg/sharecafe.hyakkei/posts/?ref=page_internal

hyakkeiさん前にて
同日出店されていた石田珈琲さんと一緒に◎コーヒーのいい香り〜

さて、旅するシダ胞子のスケジュールは、このようなかんじ↓

12:30 〈share cafe Hyakkei (百径) 〉に集合、自己紹介 … 岩村城下町から城址へ歩いて散策 … 15:30〈hare cafe Hyakkei (百径)〉のカフェでのんびりしながら解散(16:00ごろ)

朝10時に到着して、イベント開始の12時30分まで時間があったので、美味しいコーヒー(同時出店していた石田さんの♩)を片手に、ぷらぷらと城下町をおさんぽ。

なんと、驚きがいっぱい。おおおお〜!岩村ってすごい人たちがたくさんいたところなのね。織田信長の叔母の おつや が女城主として激動の戦国時代を生き抜いた地であったり、佐久間象山、西郷隆盛など幕末 の志士に大きな影響を与えたといわれる儒学者の佐藤一斎の出身地とな!!!歩きがいのある、歴史の深いまちだ。ますます城址への道が楽しみだ〜

岩村町について: http://iwamura.jp/about

そうこうしているうちに開始予定時間になり、会場には参加者の方が集まってきてくださいました。今回は4名!初イベントなのに、ありがとうございます。

自己紹介とルーペの使い方を紹介して、いざ、岩村城址へ〜!

hyakkeiさんで自己紹介
写真奥の方々が興味津々(笑)

往復で3時間ほど、たくさん散策しました。結論、岩村城は、楽しい!!

図鑑でしか見たことのないシダを2種類も発見!わーーーい!!!

コウヤワラビの栄養葉コウヤワラビの胞子葉/ブドウみたい!!
岩村城は、とある伝説があって、その昔、城址内のある井戸に大蛇の骨を投げ入れて祈願すると、お城を覆い隠すような深い霧が立ち込め、城を守ってくれるというもの。そのため、「霧ケ城」とも呼ばれているそうで。そりゃあ、シダも居るわ。(笑)

途中までノキシノブやスギナ、イヌワラビ、イヌシダ、ヘビノネゴザなど、日常的に観られるシダばかりで、期待値が下がっていた分、見つけた時はとても感動だった。コウヤワラビ!フユノハナワラビ!!わわ〜〜!!大興奮でした。

フユノハナワラビ?!胞子葉が立派。

歩いていると、城址の階段の脇に、ふと、気になる銅像を発見。なんだ?だれだ??「三好学」??

三好学氏の銅像
三好学先生「環境があってそこに人間が存在する」桜博士とも。
調べてみると、日本の植物学の基礎を築いた植物学者で、ドイツで生態学を学び、日本に「天然記念物」保存の考え方を広めた偉人であることがわかった。

三好学先生: http://iwamura.jp/archive/三好学

三好先生は「桜ノ博士」とも呼ばれ、東の桜名所「小金井」で桜を研究し、大正時代に「櫻花圖譜」という、原寸大の図が描かれ、112種もの桜を同定できる図鑑を発刊している。わお。

ちなみに、吉野山の桜展示園にも「桜博士」の石碑があったなあ…。笹部新太郎先生だ!おや?同時期に、2人も桜博士がいたのかあ…?

いろいろ文献を調べてみたところ、三好先生と笹部先生はバチバチの関係だった模様。特に笹部先生が三好先生を大批判していたとな。

・国の中央集権化の流れもあり、ソメイヨシノが全国に広まった。(これに三好学先生も加担)→ソメイヨシノ以外の日本固有の桜が守られていない。

・三好先生は「天然記念物保存制度」の制定に携わっていた。→有名桜が「保存」のために玉垣で囲われたことで、根が傷つくなど衰弱してしまった。

これらのことから、笹部先生は、三好先生を批判し続け、生涯をかけて日本古来の桜の保存とソメイヨシノに代わる桜の品種改良に没頭したとのこと。

天然記念物保存制度というルールを作ったけれど、各市町村の担い手が、桜はおろか樹木の知識もないままに保存活動をしたことで、逆に対象を傷つけて枯れさせてしまうなど、保存管理者の専門性や方法が不安定で曖昧であること、そもそも樹木そのものを保存するだけではなく、周囲の環境も含めて、保存管理の指定範囲を広める必要性がある。

「環境があって人間が存在する」とおっしゃっている三好先生なら、そんなことではダメだと重々わかっていらっしゃったはずで。「景観」という言葉の概念を創り出したのも三好先生だ。景観を守るため、対象とその周りの環境の保全を考えていたはずだ。トップダウンで、実を伴わない状態のまま、進んでしまったのだろうな。なんだか、日本の大正時代から昭和にかけて軍国主義国家に変容する流れに巻き込まれてしまった感じがプンプンする。三好先生の留学先はドイツだし。ドイツに倣え!みたいなね。

ちなみに、現代も「天然記念物保存制度」による植物保全の効果について疑問視される声が上がっている。ちょっと古い文献だけど、わかりやすかった。(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jila1994/65/5/65_5_427/_pdf

人間本位のやっつけ仕事な姿勢で自然に携わることは論外。もっと広く環境を捉えて自然の保全を考えないと、大自然の営みから人間がつまみ出されてしまう。

シダにまみれる@岩村城址
シダにまみれるみなさん
シダにまみれることで、自然と人間の関係性に想いを馳せる、そんなイベントを創っていきたいなあ、と改めて思った次第です。はい!

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