稲叢の火

投稿者: 木下まみ
先日、大峰山脈の「稲村ヶ岳」へ登ってきました!

稲村ヶ岳は、大峯奥駈道として永い間、女性の立ち入りを禁じられた“女人禁制”の山だったそうです。女人禁制の理由は、いくつかあるそうで。女の人は、男の人の身の回りの世話を焼いてしまう。山に入るときくらいは自分のことは自分でやり、日頃お世話になっている家族への感謝する気持ちを思い出すため、という説もあるらしい。

この「女人結界」の碑の隣には「母公堂」というお堂があり、山岳信仰の「修験道」のご開祖である「役行者」さんの“お母さん”が祀られている。役行者さんが、山の厳しい修行について来ようとするお母さんに、「ここで待っててください」と建てたものであるという言い伝えがある。

さて、ここまで詳しく知ることができたのは、大師山妙法寺のご住職の大塚さんの山岳修行に参加できたからだ。大塚さんは、連日、山上ヶ岳(現在も女人禁制の修行の山)へ、先達(先頭を歩くリーダー)として先頭に立って多くの方を山へと導く修行をされている。“山伏”と言ったほうがわかりやすいかしら。道中は、法螺貝(ほらがい)をたてられたりする。ちなみに、法螺貝を鳴らすことを“吹く”ではなく“立てる”という。山に鳴りひびく法螺貝の「ぶォ〜〜〜〜〜〜〜〜!」という厚みのある音を耳に、じわりじわりと丁寧に1歩ずつ進めていく。

稲村ヶ岳は、法力峠(ほうりきとうげ)をすぎ、山の中から眺めた様子が “稲叢” 、つまり刈り取った稲穂を束にして山のように積み上げた形に似ていることが所以で、本峰は「大日山」とも呼ばれている。

DSC02661.JPGところで、9月1日は「防災の日」。防災意識を高めるためか、オンラインのニュースでも防災関係が多く、翌々日の今日も防災関連が目立つ。

そんな中、“稲叢”について調べていると、和歌山県広川村の「稲叢の火」の物語を見つけた。戦前は小学生の国語の教科書にも載っていたという英雄話だ。

安政南海地震。海の向こうから迫り来る大津波を見つけた濱口梧陵さん(※濱口儀兵衛_ヤマサ醤油の第七代目当主)は、稲わらに火をつけ、人々を慌て走らせることで高台へ登らせ、大津波から村人の命を救った実話だそうだ。梧陵さんは、莫大な資金を費やし、大津波を避ける防波堤を造るなど、村の100年後を祈って尽力した。

ほヘェ〜〜〜、すごい英雄だ!!

誰かの、村の、100年後を想って、祈って、行動できる人だったんだなあ。災害時は、自分の身を守ることが第一。誰もが必死な中で、他人の命も一緒に助けようと行動する人に、感動してしまう。光が光に寄り添って、より眩しくって涙がでるかんじ。実際、たくさんの人が感動して、梧陵さんに共感して発生した波は、世界に伝わって、2015年に国連が11月5日を「世界津波の日」と定めるほどに。

登山って、ある意味、防災訓練かもしれない、と思う。例えば、前や後ろから他の登山者が歩いてきた時、「ようおまいり〜!」と声をかる。それは、仲間へ「人が通るから、安全に道を譲りあってね」という合図。先達さんが「この先、滑りやすいから横歩きで」など、注意を喚起する声かけに「は〜い!」と返事をする。この道の先をみんなで安全に進もう、という気持ちが高まる。実際、ズルッと足が滑って冷やっとすることがあった。仲間がいることの安心感っ!(シダを見るときは独りが多い)

ひょんなことから気づきが生まれるもんだなあ。ありがたや〜。

さて、この稲村ヶ岳。ところどころ、目がはなせないほど美しい景色がたくさんでした。コバノイシカグマの群生と苔むした木々に、風が吹き込んでチラチラ光る。

「コバノイシカグマ」はコバノイシカグマ科のシダで、葉の両面に細かな毛が生える。暖地のやや涼しい山地に生え、ソーラス(胞子嚢群)はコップ状の包膜のなかにできる。羽片の脇にポツリとついているのが可愛らしい。

山頂近くの岩肌には、堆積岩がむき出しに。てっぺんに堆積岩??ここは海の底だったのか・・・。さすが中央構造線ちかくの山脈だ。場所によって石の違いが明確だ。

光のあたる角度によって、表情を変える大日山。空が近い〜!雲が目線にあって、その雲の影が山々の色彩を変える。

見つけたのは「フジシダ」コバノイシカグマ科。深い山の崖地や転石地に群生する。一見、カミガモシダ?!と思ったが、葉の形が異なる。帰宅して調べたところ、初対面のシダちゃんだった。嬉しい。

シダの写真をゆっくり撮るためには、それが大好きな人たちと歩くのがいいなあ、とも思う。頭の中がシダまみれだ。

最後には、ナウマンゾウに見える巨木が見送ってくれた。

「また来てね!」「また来るよ〜!」

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